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moonwatcher's dialy

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さよならインド

8/13(fri)
Santiniketan day5



午前中、日本語学科内の図書館や廊下で、
3年生のディーボックさんとオリピタさんとでお喋り。
オリピタさんは奨学金をゲットしたらしく、10月に訪日予定。
「日本についたら、俺に任せろ! マニアックな所へ連れっていてあげる!!」
と、喜んで日本をご案内してあげるとお約束。
マニアックすぎて逆に日本を嫌いにならないよう注意はしておこう。

昼食は、デボボラードさんの粋な計らいで高校の食堂で特別に食べられることに。
毎度のことのカレーだったが、なかなか美味しかった。
これで15ルピーとは、さすが学食。


0813-1.jpg


ここでちょうど日本語学科のプレパラトリー(大学入学準備生)もいたので談笑。
この大学は、なんでも小学部からあるそうで、
長い人は小1から親元を離れてここで生活をしている。
寂しくないのと聞いてみると、
みんな、最初は寂しかったけど、友達と一緒にいるのが楽しいとのこと。
自分もそうだったけど、この年頃は親より友達なんだよね。

さあ、帰ろうかなと思ってたところ突然のスコールで、こりゃ駄目だわということになり、
雨宿り。
かなり温度が下がり、シャンティニケタンに入ってきてから一番快適な気温になったかも。



0813-2.jpg



その後、2年生のチョクラさんの寮の部屋に行って、「ガリレオ」を見る。
まさかシャンティニケタンでインド人と一緒に福山演じるガリレオ先生を見るとは。
頭が燃える回のエピソード、唐沢寿明の悪役は新鮮で面白かった。

その後チョクラ家を後にし、デボボラードさんに借りていた自転車で
ディーボックさんとオリピタさんとモモを食べに行こうとしたら、
その自転車のチェーンが外れる。
すまん、デボボラードさん。

夜9時ごろ、みっちゃん家に到着。
おばあさんの家に行っていた、お母さんが帰ってきていた。
挨拶をして仲良しを演出。

夜飯を食べようと今度は自転車をみっちゃんに借りたら、その自転車で大コケ。
流血してしまった。
こちらが勝手に転んたのに、なぜか自分よりみっちゃんの方が凹んでた。

その後、一緒に見ようと約束していた映画、「the japanese wife」を鑑賞。
会ったこともない日本人とインド人が文通だけで結婚するという、
かなり荒唐無稽な話だが、なんと実話ベース。


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ヴィシュヴァ・バーラティ大学の小学部の子供たち。日中はお昼寝の時間。




8/14(sat)
Santiniketan day6



午前中、日本語学科に寄ってからアルチャへ。
あつこさんの日本の大学時代の先輩、吉川さんが来ていたので一緒にお茶。
吉川さん、ニュージーランドからのストップオーバー中に訪印との事。
なんとマレーシア航空ってストップオーバーが3ヶ月あり、
その間、国内国外どこに行くのも自由らしい。
すごい!!
今度一回マレーシア航空を使ってみる。

午後、ディーボックさんにコルカタからデリーまでのチケットを取ってもらうのに付き合ってもらった。
前日、ネットで申し込もうと思ったのだが、クレジットカードが拒否されました。
なんでだろう?
というわけなのだが、絶対一人で行っていたらチケット予約取れなかった。
だって相手がベンガル語しか喋れないんだもん。
持つべき友は、現地の人間である。
マムシでスープチョーメンを食べた後、入り浸りのMIKI家でダラダラと。
お水が美味しい。

その後、彼女のお仕事にお付き合いで日本語学科へ。
仕事をしている女性は美しい。


0814-1.jpg


テスト中の一コマなのだが、
教室の中から、
「携帯電話を見ないでください」とか「答案を見せないでください」
という言葉が聞こえてくる。
日本の大学のテスト時間中だと、なかなか聞けないフレーズだ。

ずっとテストを見ているのも飽きた。
大会議場で、今度の盆踊り大会の為の練習をしているとのことで、
のぞいてみるけど誰もいない。
1時間ぐらい経ってからようやくぽつぽつと集まってくる。
この辺りがインドタイムでなかなかよろしい。
で、踊りの練習を見たのだが、すごいエロい。
なんでこんな動きができるのかと感心するぐらい踊りがうまかった。
聞けば、ここの多くの学生のインド人は子供の頃から踊りを習っているそう。
やっぱり年期が違うのか。



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そして、夜はパークゲストハウスというちょっとこ洒落れたレストランで自分のお別れパーティ。
キングフィッシャーのビールをあけまくり。
美味しい。



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1週間しかいなかたっがかなり現地の学生と仲良くなってしまい、
かなりしんみりしたした気分になってしまったが、
みんな、どうもありがとう!!



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"park guest house"で食べた、シャンティニケタンでの最後の晩餐




8/15(sun)
Santiniketan - Kolkata



今日はインドの独立記念日。
朝から学校のメイン会場で催し物。


0815-1.jpg


その後、学生ご用達のドシャロッタでプーリーを食べて朝食。
食べた後、プラプラと近所を歩き回っていると、
チョクラさん、デボボラードさんが合流してくれて、
みんなにお土産をもらった、ああ、涙が出そうになる。

その後、みっちゃん家に行き、家族にご挨拶した後、
おかあさんが泣きそうになってる。
うーん、参るな。
弱いんだよね、相変わらず。

そして駅で涙涙のシャンティニケタンの友達とお別れ。
ありがとう、君たちのおかげで大分インドのイメージが良くなりました。
そしてmiki。すばらしい経験をさせてくれて本当に感謝!


列車に2時間揺られコルカタに到着。
フェリー乗り場で逆の便に乗ってしまい、1時間のロス。
あらまー。


0815-2.jpg



サダルストリートの安宿に投宿。
行く途中、夜一緒に遊ぼうと知り合ったインド人に言われたが、
寝ぶっちしてしまった。
正直に悪気はなかったので、平謝り謝る。
ごめんなさい。



0815-3.jpg
インド建国の日



8/16(mon)
Kolkata - Delhi



6時半に出発。
ポーターにチップをねだられ10ルピー渡すと、
「それだけ?」
と、また言われた。
本当にこいつらは…

朝のコルカタをタクシーで疾走。
まだそれほどの渋滞でもないので軽快に走る。
気持ちいい。

コルカタ空港到着。
国内線のロビーに着くも、警察官にこの便は国際線発着だよと指摘され、
トコトコと隣側の国際線ロビーに。
かなり古めかしいターミナルである。
ここで3時間ほどウダウダして、
エア・インディアでデリーへ。
ああ、飛行機でも音楽がかかっているのね。
どこも静かなところがないよ。

デリー空港国際線ターミナルに到着。
と、なんと新しいターミナルになっていた。
一ヶ月前のぼろいターミナルとはぜんぜん違う。
というかインドという雰囲気がまったくしない。

プリペイドタクシーを購入して、メインバザールへ。
エロい運転手の話を流しながら聞く。


0816-1.jpg



メインバザールへ到着。
なんとここも舗装工事中。
たった一ヶ月だけど、やはり時は流れていくんだ。
早々と宿を取る。
お土産の超高級なお茶をお店へ取ってきて、日本食レストランで夜ご飯を食べて寝た。



0816-2.jpg
日本食レストランで食べたおくら丼。日本で出しても普通に美味しいと思う。



8/17(thu)
Delhi out



10時頃起きて午前中はグダグダ。
もうデリーなんかは観光してやらないと、
ほとんど帰国モード状態。

そんな感じで昼飯へ。
昨日の夕食でも食べたおくら丼を食べたくて、
ナブランのレストランに行ったら、
目の前に綺麗な格好をした日本人が。
自分のあまりのみすぼらしい格好と対照的なのでこの人と話してみたくなる。
と、とたんに意気投合。
そんな加藤さん、青年海外協力隊で22年度3次隊でカメルーンに行くんだと。
驚愕して顎が外れそうになった。


0817-1.jpg



その彼は自分と同じ本日帰国。
ただ彼はエア・インディアの直行便だけど。
羨ましい。
なので彼と空港まで一緒に行くことにした。
ニューデリー駅からプリペイドタクシーに乗ろうとしたら、
カウンターが閉じている。
そこにまた、また出てきたかとエイリアンのようにタクシー運転手が寄ってきて吹っかけてくる。
500ルピーとか400ルピーとか。
「ふざけんな、空港からここまで昨日は250ルピーで来たぞ!」
と言うと、
「空港からここまでは250ルピーだが、ここから空港だと400ルピーだ」
抜かされ唖然とする。
本当にこいつらに対し激高するところだったが、ひたすら忍耐で凌いだ。
近くにオートリキシャー(3輪タクシー)のプリペイドがあったので、
そこで聞いてみると180ルピーで空港まで行ってくれるとのこと。
速攻でチケットを購入し、いざ空港へ。
もう大嫌いなデリーとは一刻も早くさよならする。

空港に到着。
さっ、中に入ろうと思うと警官に拒絶された。
なんでも到着が早すぎて2時間ほど外で待てと。
またしても! かなり歯軋りする。
暑い中、外で待つことに…

1時間半後、違う警官に代わっていたので、
ちょっと入れないと尋ねてみると簡単にロビー内に入れた。
インド、覚えていた方がいい事は、
人によって対応がまちまちなので、失敗しても何回もトライする事。

加藤さんと2時間ほど駄弁って彼のお見送り。
その後、ようやく1時間ぐらいほどして、
自分が乗る飛行機のチェックインができるようになり、
とっとと搭乗手続きを済ます。



0817-2.jpg



あぁ、百鬼夜行な国、インド、色々あった。
騙された事もあったが、楽しい事もあったなー。
また来るかもしれないが、もうヘトヘトなのでしばらくはいい。
カレーも飽きた。
この国はふり幅が極端すぎるというのが、今の感想だ。
いかに底辺を底上げするのかが直近かつ最大の課題だと思うのだが、
なんせインド人は日本人の考え及ばぬところが多々あるので、
いかんともいい難い。

カレー中華定食を食った後、さあこの国とはおさらばだということで、
インドルピーから日本円に両替しようと思い両替所に行ったら、
係員にすげなく拒否される。
なんでも、免税エリア内ではインドルピーから外国通貨に両替できるのは、
インド人のみなのだそうだ。
本当に、つくづく最後まで、ムカつく。
どうしてこうも外国人に対して、非友好的な対応をとるんだ?
ああ、まったく!


0817-3.jpg
main vasar, New Delhi, DELHI [さよならインド]の続きを読む
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平和郷の日本語教師

8/8(sun)
Varanasi - Kolkata


素晴らしい朝を迎えた、はずがあるわけない。
車内がうるさくてあまり眠れなかった。
7時過ぎにコルカタ(Kolkata)の長距離列車用駅、ハウラー駅に到着するはずだったが、
全く持って着く気配なし。
3段ベッドの一番上だったので下に降りようと思ったけど、既に定員以上の着席。
しょうがないので狭いベッドでゴロゴロしていた。
もう飽きてきてガンガン天井に頭をぶつけようかと思い始めた頃、
ようやくコルカタに到着したみたい。
時計を見ると既に午前11時近くで、インド国鉄は全く持って当てにならん。

駅の近くの廃れたホテルに宿を確保。
カビ臭いし暗いのに、これで375ルピーとはやはり都会は高い。
頼んでもないのに荷物を持ってもらったベル・ボーイにチップを要求され10ルピー渡すと、
「たったの10ルピー?」
と言われて離れようとしない。
イラッとする。

午後から西ベンガル州の州都、コルカタの街を散策。
さすがインド4大都市の一つとあって大きい。
ただ今日は日曜とあってか人出は少ないほうかも、そんなに喧騒はしていない。
街には露天がいっぱい。
庶民的な街なようだ。
人でざわめいているデリーより落ち着いていて、それだけでも好感が持てる。
また人々の言葉もヒンズー語からベンガル語に変わり、文字も丸っぽくなった印象。



20100808-1.jpg



散策途中、明日の切符を買おうと思い、途中にあった外国人専用鉄道チケット売り場に寄ると、
5分でチケットを買えてしまった。
駅にある一般の切符売り場ではどこも行列なのでえらい違い。
横入りするふざけた輩を相手にしなくていいし、すごい素敵なシステムだ。
この辺の感覚、日本人はインドにいるときっと麻痺してくるので、
普段の生活では当たり前のことがついつい感動してしまうのだろう。

インドに来てからマクドナルドを初体験。
ここインドでは、ヒンズー教徒が多い為か、
ビッグ・マックを筆頭に牛肉のバーガーが一切売っていない。
チキンが主食である。
そこでインド・マクドナルドの最高峰、チキン・マハラジャ・バーガーを食す。
が、パサパサしていてあまり美味しくなかった。
でも日本人でも美味しいと言っている人はいるので、好みの問題かも。
ミール・セットで約160ルピー。
インドでは、かなり高級な部類な食事である。



20100808-2.jpg



夕方、ホテルに戻る途中、
ハウラー駅前のスタンド売りしているライム・ジュースを見て、
あまりに美味しそうだったので、ついつい飲んでしまう。
そして、ご飯は近場の屋台。
日本では絶対保健所のチェックに引っかかりそうな、すごい場所でマトン・ターリを食べる。
そして終にというか、来るべき時が来たというか、
深夜、とうとう腹を壊した。
今までも、ラッシーやらマンゴー・ジュースやらモモ(水餃子みたいなもの)でも平気で、
インドの食事、けっこう大丈夫じゃん、と思っていたのだが、
ここコルカタの食べ物は完敗してしまった。
えらい勢いで下ってしまう。
マクドナルドの食事であたるとは思えないので、
スタンド売りのライム・ジュースか、屋台のターリの食事のどちらかだが、
たぶん生水の方であるライム・ジュースだと思う。



20100808-3.jpg
Fairlie Ghat, Kolkata, WEST BEBGAL



8/9(mon)
Kolkata - Santiniketan


カビ臭いベッドにて9時前起床。
外は相変わらずインドの喧騒。
ベッドからすぐに這い出て、目の前にあるハウラー駅へ、いざ。

鉄道で大体2時間ちょっとの距離にある、コルカタ郊外のシャンティニケタン(Santiniketan)へと向かう。
シャンティニケタンの町の名前の意味は、ベンガル語で平和の園という意味。
なかなか素敵な名前だ。
また、シャンティニケタンは大学町。
アジア人として初のノーベル賞受賞者であるインドの詩聖、
ラビンドラナート・タゴールが創設したヴィシュヴァ・バーラティ(VISVA-BHARATI)大学がある。
インド人にとって、タゴールはガンジーと並び称されるほどの人物なので、
ここシャンティニケタンもインド人には通りはいい。
実際マナーリーとかアムリトサル辺りでも、インド人にはシャンティニケタンの名前は一発で通じた。

10時過ぎの"Santiniketan Exp"でコルカタ出発。
きっとこの列車の中でも何かイベントがあるのではないかと思っていたが、案の定あった。
目的地までの道中、ずーっと吟遊詩人が歌いっぱなし。
乗客がお金を払って曲をリクエストなんかもしている。
下手ではなかったので悪くはなかったけど、静かな車内に慣れている日本人には変な感じ。
しかし、いまだ吟遊詩人で生活が成り立つインドって、知れば知るほどよく分からない国だ。

この旅初めて、列車が時間通りにシャンティニケタン駅に到着。
感動する。
リキシャーで大学のセントラル・ライブラリへ行くも、
ここでも、リキシャーから降りて代金を支払う時に運転してきた親父が、
「今日は暑いからもう10ルピーくれ」
とか抜かす。
ただでさえ暑いのに、怒っていたら更に不快度が増しそうだったので、
10ルピーを親父にくれてやった。
暑いから、長いから、といって、
初め言っていた値段から更に金を要求するリキシャー関係者に何人あったことだろう。
契約という資本主義の根本的原則は、インドでは通用しない場合が多々ある。

10分ぐらいのんびりと日陰で待っていると、遠くから自転車に乗って見たことのある人物が近づいてくる。
やぁ、やぁ、お久しぶり。
オーストラリア時代の盟友、mikiと約1年ぶりの再開。
彼女は今、ヴィシュヴァ・バーラティ大学で日本語教師をしている才媛。
インドに来たらぜひ遊びに来てと前々から言われていたので、
お言葉に甘え、わざわざシャンティニケタンまでたかりに来た、いや、叱咤激励をしに来た次第である。
ラダック地方からここまでの道のりは、本当に長かった。
雪のヒマラヤ越え、気が触れそうな長い列車の移動、
ヴァラナシで狡猾なインド人に騙される、等のイベントを乗り越えてやってきただけに、
なんとも嬉しい思いでいっぱい。
いやー、元気そうでなによりである。


20100809-1.jpg



大学の日本語学科等を少し案内してもらいながら、彼女の家へ。
そこで日本からのお土産の物を渡す。
だがお土産の一つ、日本の映画のDVDが読めない。
ショック。
インドの暑さにやられたのだろうか?
ちょっと休んでから再び外へ。
アルチャというシャンティニケタン一と言われるカフェへ行く。
へー、いいじゃない。
アジアンテイストな作りで、洒脱な作りが素晴らしい。
またインドのお店にしては静かなところがグッド。
なかなか素敵なカフェで一発で気に入った。


20100809-2.jpg



その後、mikiの教え子である、ショーミツさん(通称:みっちゃん)と合流。
彼の家へホームステイさせてもらうことに。
みっちゃん、今年の6月に奨学金で日本に短期滞在をしている。
その時の感想が、
「日本は別の惑星のようだ」
とのことだったが、日本人もインドに訪れたら同じ感想を持つ。
みっちゃん家に行くと、彼のお父さんも寛大なおもてなし。
丁重な応対で迎えてくれたことに感謝!



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Japanese Language Department of VISVA-BHARATI university, Santiniketan, WEST BENGAL



8/10(tue)
Santiniketan day2


7時半起床。
みっちゃんの両親が、それぞれお二人のご両親のところへ行っているので、
彼がわざわざ自分の為に朝食を作ってくれた。
やさしい人である。

みっちゃんのバイクに乗り、いざ日本語学科へ。
汚い日本人が物珍しいのか、学生がすぐに寄ってきて話しかけてくる。
ヴァラナシ辺りで日本語で話しかけてくる呼び込みとは違い、
さすが大学生、上品な日本語をみんな喋るんだな。
「がくさんは、どちらのお住まいですか?」
「インドの印象はどのようにお持ちになっていますか?」
「今度盆踊り大会があるので、ぜひご覧になって頂けませんでしょうか」
などと、こちらが恐縮するぐらいな丁寧さ。

一段落した後、本日は授業がないmikiと一緒にアルチャへ。
アイス・コーヒーを頼んだら、コーヒー牛乳みたいなものが出てきた。
これはこれで美味しかったんだけど、日本で飲むコーヒーとは別物である。

今アルチャでは、
芸術学科を今年度卒業した留学生のあつこさんのエキシビジョンをやっている。
題して、"Alu Flower"。
なかなか素敵な版画の展覧会で、全て一点もの。
自分もかなり気に入ったので一枚予約。
最後の日に渡してもらう約束をする。



20100810-1.jpg



この日は相当暑かった。
午後になると、たぶん40度を超えていたのだろう。
完全にダウン。
マナーリーからここまで移動の連続だったので、疲れも溜まっていたかもしれない。
mikiの家で横にさせてもらうと動けなくなった。
グロッキー状態である。
食欲も全くなし。
この辺の人々は、
午前中に仕事を終わらせて午後は昼寝をしたり休んだりするそうなのだけれど、
確かにこの暑さじゃ仕事にならない。
日本で働いている人達にはピンと来ないかもしれないけど、
あえて例えるなら、サウナの中の暑さぐらいだと思って頂きたい。



20100810-2.jpg




夜はみっちゃんの家で、
これまた日本語学科の修士1年デブラッチさんと、
2年生(日本でいう3年生)のデボボロドさんが食事を作ってくれた。
というわけでインド人3人と日本人2人、計5人でのパーティー。
家に行く前に、食材としてチキンを買って行ったのだが、
ここの肉屋で初めて、目の前で鶏を絞めているのを見た。
可愛そう、と思うも、鶏肉をいつも食っているからなんだか複雑。
また酒屋にも立ち寄り、インドで有名なキング・フィッシャーのビールと、
"IB"というウィスキー、"old monk"というラムを買って、はや、みっちゃんの家へ。
ところでインドの酒屋、けっこうひっそりとしている。
実はヒンズー教はアルコールはあんまりよろしくないそうで。
彼らから聞くところによると、何でも人前で酔っ払うことがご法度なんだそうな。
と言いつつも、デブラッチさんは自分よりもどうやら酒に強くて、
ガブガブ飲んでいたけど。
そのデブラッチさん、日本語で地理を学びたいそうで。
「太平洋プレートとかゴンドワナ大陸とか、そういう日本語を学びたいです」
と。
なかなか変わった学生である。
料理はとても美味しかったのだが、こちらの体調が最悪で吐きそうになる。
食事もお酒も、あまり入らなかった。

11時過ぎ、mikiを自宅まで学生が送りに行っている間に、バタンキュー。



20100810-3.jpg
デブラッチさんが作ってくれてチキンのカレー。美味しかったけど体調最悪であまり食えず。



8/11(wed)
Santiniketan day3


みっちゃんがパスポート更新の為、コルカタに行ってしまって、
今日はデボボロドさんと、3年生(日本の4年生にあたる)のチョクラさんが
自分のホスト役になってくれることに。

午前、彼らの案内で大学の構内を見学。
ここのキャンパスは大きい。
たぶん日本一の敷地面積がある北海道大学よりも大きいのではないだろうか。
そして、この大学でもっとも有名なのは芸術学部。
キャンパスもぐんを抜いてこ洒落ていた。

その後、男子学生寮にお伺い。
チョクラさんの部屋で少し涼む。
インドの学生の寮生活なんて、なかなか見れるものではないので面白かった。
やはり今時の若者、趣味とか持ち物は日本の学生とあまり変わらない。

その後、スナジョリという郊外にある森へ。
ここはコヴァイという地形が有名。
簡単に言うと、砂地に凹みがあるような風景、とでも言おうか。
全く持って、間違っているかもしれないが。
近くを流れていた農業用水用の水路で顔を洗うむも、水が臭い。
この水で米を作っているのかと思うと、なんとも複雑に思うが、
死んだという人間は聞かないので大丈夫なんだろう、きっと。



20100811-1.jpg



この森から帰ってくる途中、
午前中はひたすらお仕事をしていたmikiと合流。
近くのターリ屋で食事を取ろうとするも相変わらず自分は食欲がないので、
みんなの食事を眺めているだけ。

そして、デボボロドさんとチョクラさんに、「この後何する?」と聞いたところ、
お話しましょう、と。
こんなほのぼのとしたノリは久方ぶり。
なんだか高校生の時を思い出させて楽しい。
インドの田舎の大学生、好感が持てる。

その後、学生たちと別れてmikiと一緒にアルチャへ。
またしてもコーヒー牛乳のようなアイスコーヒーを飲みながら、ここでも世間話。
途中、デボボロドさんから電話がかかってきたが、言っている意味がよく分からず。
デボボロドさん、日本語は鋭意勉強中なのでまだまだ発展途上中なのだが、
はにかむように話す彼の片言の日本語は、なかなか見ていてカワイイ。
そんな彼をmikiは、
「デボボロドさん、日本語上手になってほしくない。可愛くなくなるから」
って、あんた、彼は直接の教え子でしょ…

その後、歌の教室に行ってしまったmikiとは別れて、
デボボロドさんとデブラッチさんとでマムシというレストランで食事。
のはずが、相変わらず食欲はないのでコーヒーだけ。
二人に心配される。
ごめんね、夏バテで食えんのだよ。

夜は相変わらず腹が下ってあまり寝れなし。



20100811-2.jpg
チョクラさんの部屋で。左からチョクラさん、自分、デボボロドさん。



8/12(thr)
Santiniketan day4


6時半、起床。
デボボロドさんと一緒にチャイを飲んで学校へ向かう。
顔馴染みになってきたみんなに簡単に挨拶をした後、贔屓となったアルチャに。
いつもは忙しそうにしているが、本日は時間があるというあつこさんと午前中はほとんどお喋り。
11時半前に昼休みとなりいったん店が閉まるので、
近くにある日本語を喋るインド人が経営する中華屋で第2ラウンドのお喋り。
3年インドに暮らしているあつこさんのインド感を聞けたりして楽しかった。
「インド人は問題が発生すると絆創膏をはって応急処置をするが、それで一件落着みたいな。
 そのあと問題が大きくなっても、この繰り返しなんですよねー」
との意見は深く納得するものがある。
ただ、日本人の常識とインド人の常識。
どちらが正しいのかというと、深く考えさせられてしまった。

本日もうだるような暑さ。
外に出ていると、暑いというか痛い。
あまりの暑さで午後はさっさとmikiの家に非難。
かなりやつれているように見えたのだろうか、ぐったりしている自分を見て、
彼女がそうめんを作ってくれた。
感謝!
シャンティニケタンに来てから、インド料理がほとんど受け付けなくなってしまっていたが、
やっぱり自分は日本人の血が流れている、ものの3分で完食してしまった。
まさに夏バテの症状だな、これは。
涼みながら午後いっぱい、デブラッチさんとチョクラさんにあげる為に、
日本の写真と音楽をひたすらコピーする作業。
写真4GB、音楽2GBもいるのだろうか、と少し心配。



20100812-1.jpg



夕方から、デボボロドさんとmikiとで、シャンティニケタン郊外の公園へ。
名前は忘れた。
かなりノスタルジックな公園で渋い雰囲気。
当然、自分達以外に誰もいない。
隣接している池にあった白鳥のボートに3人で乗る。
まさかインドで白鳥のボードに乗るとは夢にも思わなかった。
いい思い出にはなったが、普通に傾いているのが少々怖かったりする。
その後、レストランでラッシーを飲みながらお喋りをして帰宅。
その帰宅途中、自分がデボボロドさんに、
「今日は、どうもありがとう」
と言ったら、彼は、
「どうもいたしまして」
と返す。
ここまでは良かったのだが、その後、
「先生、どうもいたしまして、の意味はなんですか?」
と…
今まで、意味を知らないで返事をしていたもよう。
思わず、デボボロドさんをハグしてしまった。



20100812-2.jpg



夜御飯はmikiの同僚である、
カリンポン出身のネパーリ英語教師宅で豚料理をご馳走になった。
この人、キリスト教徒なので牛でも豚でも何でも食べられるのであるが、
普段シャンティニケタンで生活をしていると、食材が手に入らないらしい。
なので地元に帰ったときに豚肉を仕入れてきた物を、
今回自分にもわざわざ振舞ってくれてわけである。
お邪魔して約1時間後、回鍋肉(ホイコーロー)風な料理が出来上がり。
美味しい、パクパク食べてた、最初は。
が、この肉全部脂身。
重量級に重い。胃がもたれる。
何とか食べ切れたが、2日ぐらいは飯いらないかも。

みっちゃん家に帰宅すると、彼の恋人がいたのでご挨拶。
美人。
そんな彼女は英語学科の学生。
そう、ネパーリ英語教師の教え子である。
この町の狭さを感じるエピソードだった。



20100812-3.jpg
Alcha, Santiniketan, WEST BENGAL


※平和郷の日本語教師、本編はこちら

  1. 2010/08/23(月) 22:56:22|
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ヴァラナシ歯ブラシ騙されやすし

8/3(tue)
Dharamsala - Amritsar


真夜中の3時半に起床。
霧雨。

昨日、森野さん夫妻が早朝タクシーを予約していたのでそれに同乗しようと、
朝4時に待ち合わせ場所に行ったけどさっぱり現れず。
案の定、運転手にすっぽかされたようだ。
宿から待ち合わせ場所まで歩いてきた森野さん達が激高している。
運良く流しの運転手を捕まえたが、その流しの運転手に対して捲くし立てている。
とばっちりを受けた運転手の言い分は、
「タクシーは予約しない方がいい」
さすが、インド。
少々見くびっていたようだ。

朝5時、バスセンターから一般のバスを使って、
アムリトサルへと向かう。
隣のイタリア人のベラとお喋り。
「インドは4回目だけど、さっぱり分からないわ」
だって。
ヨーロッパで1、2位を争う混沌っぷりのイタリアでさえも、
インドには適わない。

道中問題も無く、11時前にアムリトサルに到着。
すげー暑い。
40度ぐらいあるんじゃない。
涼しいところから来た身には応える。

タクシー、リキシャー類を全て振り払って、
シーク教の総本山、黄金寺院(Golden Temple)まで歩いて向かう。
ここには無料の宿泊施設があるも既に満杯。
なんてこったい。
係りの人とのやりとりを見ていた関西人風の日本人のおっちゃんに、
何故か怒られる。
「日本人はもっと日本人と海外でよく話せぇ、がっつり行け、かっつり」
なんて事を言われて、どっかに行ってしまったが、
すいません、関東人はソースより醤油を好むもんで。

歩き回って、近くにホテルを見つけた後、黄金寺院に潜入。
まずは土足厳禁なので、靴を係りの人に渡すが、
その渡し場が自分より一段低い位置に係りの人が受け取るような仕組みになっている。
そしていざ本殿へ。
いやー、びっくり。
なかなか素敵。
きんぴかだけど、全然嫌らしくない。
長い長い境内を2周もしてしまった。

その後、バカ国境じゃなく、ヴァーガー・ボーダーへと向かう。
ここは、インドとパキスタンの国境だが、
毎日夕暮れ、国旗を降ろすのがイベントと化している。
インド軍人、パキスタン軍人が形式ばった動きで儀式を行うのだが、
これが見ものなのだ。


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炎天下の中1時間半ほど待つのだが、
インド側はほとんどお祭りとなっている。
インド国旗を振り回して走り回ったり、
爆音のミュージックを背後に女性が踊りだしたりと。
そしてメインイベント。
兵士による国旗を降ろすセレモニーが始まる。
まるでモンティー・パイソンの"silly walk"のような動きだが、
彼らは本物の軍人で、本気でやっているので凄い。
そして、
「ヒンズスタン、ジンダーワー (Indian, never die)」
の掛け声でスタンドが一斉に盛り上がる。
これ、かなり面白いわ。
アムリトサルまできたら一見の価値あり。
ただし、非常に暑いので飲み物必須。
(というわけでこのヴァガー・ボーダー、youtubeで確認してみましょう)

帰りのタクシー、インド人6人を日本人1人で
相手をしないといけなかったので大変だった。
それもタクシーはスズキの軽バン。



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Golden Temple, Amritsar, PUNJAB



8/4(wed)
Amritsar - Varanasi


午前、黄金寺院の横にある鉄道チケットセンターに行く。
列に並んでいると、何人ものインド人に横入りされた。
腹が立ったので思わず目の前に横入りしてきたインド人とケンカ。
列は並ぶものだと小学校で習わんのか。
20分後、ようやく自分の番に。
もうそろそろインド東部に行かなければならないので、そんなチケットある?
と、聞いてみたところ、あるじゃん。
なんとアムリトサル発、ヴァラナシ(Varanasi)経由コルカタ(Kolkata)行きというすごい列車が。
コルカタまでは車中二泊というのも、なんとなくインドの凄さを感じる。
それも本日発の列車のチケットもあるとのこと。
相手が分かってくれないので何度も大声を張り上げながら切符をゲット。
嬉しい。
やったぜ。
なので、デリーもジャイプル(Jaipur)もアーグラー(Agra)にも行ってあげない!
アウランガーバード(Aurangabad)行きのチケットを8月18日まで取れなかった森野夫妻、
申し訳ない。


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黄金寺院で、フランスでは発ガン作用により発禁となった噂のあるリムカをがぶ飲みした後、
森野夫妻とただ飯を食いに行く。
ここ、黄金寺院では来場者なら誰でも無料で食事が振舞われている。
まあインド定番のタリーなのだが、これがけっこう美味しい。
アムリトサルに来てから、見た目は厳ついがスィク教徒の太っ腹ぶりにはかなり好印象を持った。
他宗教や外人に対しても分け隔てなく、無料で宿泊施設、食事等を提供してくれるなんて、
なかなか素敵な宗教だ。

森野夫妻とはここアムリトサルでお別れ。
宿で感動のお別れをして駅に向かう。
リキシャーの親父が、もっとチップをくれないかとほざくが、
別に気分も悪くなかったのでコインで決めることに。
負けた。多めにチップを払ってあげる。

18時15分発の列車なので、大分余裕を持って16時に駅に到着したら、
21時まで出発しないでやんの。
案の定、遅れた説明は一切なし。


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Amritsar Station, Amritsar, PUNJAB



8/5(thr)
Amritsar - Varanasi


9時ごろ起きる。
外は雨。

寝台の給仕係と仲良くなる。
ガムを上げたり、タバコの葉っぱ(これまた苦い)みたいなのをもらったりしていたが、
ふと地球の歩き方を渡したら、
同僚に文句を言われながらも30分以上熟読。
何を熱心に見ていたのだろう?


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潜りの弁当売り販売に騙されて、40ルピーで昼飯を購入。
ビニール袋に入ったえらい代物のターリを渡される。
どうしよう、と思ったが食ってしまった。
今日まで、奇跡的にインドに入ってから体調が絶好調であったが、
これで腹を下さなかったら、自分も本物かもしれない。

22時、ヴァラナシ(Varanasi)に到着。
駅のプラットホームからオート・リキシャーの兄ちゃんが着いてくる。
20ルピーでどうか、と言われるも無視。
駅の外まで出たら、なら10ルピーでどうだ、と言われる。
安すぎるのでもっと怪しくなり更にシカト。
最後には今日は誰も乗せてないので、お前が初めなんだよ~、と泣き脅しになる。
ちょっと笑ってしまったので、ここでリングに乗ってあげた。
リキシャーの兄ちゃん、約500メートルの攻防を制する。
ちょっとでも変な動きをしたら、すぐにでも降りるつもりだったが、
すんなりとホテルに行ってくれた。
途中、おろしたての新車のリキシャーをいきなりぶつけられたりしたけれど。
ところでインド人、"Listen!"とか"Look!"とか、お客さんに対して命令形で話しかけるな。



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世界の車窓から インド、アムリトサル-ヴァラナシ編



8/6(fri)
Varanasi day2


宿のオーナーが色々と案内してあげるよ、と行ってくる。
昨日、この宿に泊まる時色々と親切にしてくれたので、
信用して彼の提案に乗ることに。
大学に連れて行ってくれたり、シルクの機織を見せてくれたりしてくれる。


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午後、念願のガンジス川の畔へ。
雨季で水量がかなり多め。
ガンジス川のファースト・インプレッション、汚い。
まっ茶色。
日本人だったら沖縄の海で沐浴する方がよっぽど感動するんじゃないかと思う。
また聖なるガンジス川へ、尚且つここはヴァラナシだというのに、
至る所で生活排水を川へ垂れ流しにしているという感覚は、あまりよく理解できない。
この辺のことについてはインド人はどう思っているのだろう?

その後、火葬場で亡くなった方の骸を火葬している現場に立ち会う。
犬がその周りをうろついているのが印象的である。


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夕方から、ボートを借りる。
水上から眺めるヴァラナシの風景もまたいい。
ダシャーシュクメード・ガートでなんかのイベントを見るも
動きがゆったりで、まあこんなものかという感じ。
人でいっぱいだったので、ちょっと人酔いしたし。
そして気持ちよく帰ろうとしたところ、乗った波止場に戻ったところで今回のインド旅行で最大の事件が発生。
漕ぎ手の先頭にぼられる。
2時間半のボートチャーターで2000ルピー払えと。
ありえないだろう。
思わず相手に、"fuck off!!"と言ってしまった。
10分ぐらい言い争いをしていたら人も寄ってきたが、
どうやらこの辺の人間全てグルみたいだ。
相手側の方を肩を持つ。
痛恨、ボートに乗ってしまったことで既に負けだった。
非常にムカつく、忌々しい。

挙句の果てに、宿のオーナーが昼の案内代をせびってきた。
それも1000ルピー寄こせとか抜かす。
もう本当に怒る前に呆れてしまって、
階段にへたりこみ盛大な溜息をついてうな垂れてしまった。
なんとそうしたら、挙句の果てに逆に彼が慰めてくる。
お前ら、ガンジス川が氾濫して溺死してしまえ!!
なんなんだ、こいつらは!

レーとかマナーリーを先に訪れたせいで、心のどこかで慢心してしまったのか。
デリーで会ったインド人に言われた、
「インド人には気をつけろ」という言葉が骨身に染み入る。
ここには5日間ぐらいいようかと考えていたが、
この一件で一刻でもすぐにこの地を離れようと決心。
罪深しヴァラナシ、きっと人生でワーストの町になると思う。
今のところ、間違いなし。



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Kedar Ghat, Varanasi, UTTAR PRADESH





8/7(sat)
Varanasi - Kolkata



宿のオーナーとは一言も口を利かずにチェックアウト。
とっととヴァラナシ駅の方へ向かう。
外国人専用チケットオフィスに行き、できるだけ早くこの町を離れたいと言うと、
夕方にコルカタ行きの寝台列車があるという。
有無を言わさず購入。

17時まで暇だったので、ガンジス川の畔でチャイでも飲もうと思い、
リキシャーに乗って、町の中心ゴードウリアー(Godowlia)へ。


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ラダックでは可愛かった子供も、
ヴァラナシ辺りまで来るとクソガキが多い。
が、ガンガーのほとりをトボトボと歩いていたら、
日本語を喋ってくる少年が寄ってくる。
最初はシカトしていたのだが、
あまりにも少年の日本語がうまかったので、
ちょっとだけ相手をしてあげることに。
そうすると、グリーンの歌は歌いだすわ、
長沢まさみが好みとか、
セーラームーンはちょっと子供っぽいよねー。
とか言いいだすわ、何じゃ、お主は!
聞けば、お兄さんの奥さんが日本人で、
彼女から見よう見まねで習ったとのこと。
彼の名前はトリシュール君。
シルクショップの店員。
彼に、昨日ボートでぼられたんだよねー、と言ったら、
「ヴァラナシ歯ブラシ騙されやすし」
とか言ってニコニコしてくる。
思わず笑ってしまった。
「ヴァラナシはインドでも難しい町だから、勉強代とでも思ってよ」
と、文字通りの言葉を日本語で彼から言われてしまって、
なんだかなー、でも少しは心が収まったかな。
その後、シルク生地の本物か偽物かの真偽、
ヴァラナシでの心構えなどを色々と教えてもらった。
それにしても、ほぼ独学でここまで日本語を覚えるなんてすげーよ。
この少年と出会った価値は大きかった。
頭の回転の良さが半端無い。
久々に見た、きっと大人になったら大成するであろう、ちょっと格の違う明晰な少年だ。
インドの奥の深さを垣間見た気がする。
あまりにも驚嘆したので、そのお店で買い物をしてあげたよ。
本物だとは思うが、買った品がまがい物でもちっとも構わない。
彼に出会えた事で、少しだけ(2mmぐらいだが)ヴァラナシの印象が良くなった。
お店の名前は、モホニー・シルクショップ。
ダシャーシュクメード・ガートの手前にある。


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17時発のコルカタ行きの"Hawrah mail"という急行が15分遅れでヴァラナシ駅に到着するも、
電光掲示板とは違うホームに入線し、これまた焦る。
相変わらず鉄道はトラップがいっぱいである。

エアコン無しの三段寝台。
寝台が狭いのは我慢できる。
指定席のはずなのに定員以上に人が乗っているのも慣れた。
でも夜遅くまで車内がうるさいのは全くもってげんなりする。
際限の無いお喋り、いきなり歌いだしたり、そして携帯で大声出したりと、
学級崩壊した小学校の教室ぐらいの騒々しさ。
そしてもちろん人々は全くそんな状況を気にしていない。
インド国鉄深夜0時、コルカタ行きの寝台列車はこんな感じである。



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今日はなんかのお祭りか? オレンジ色の服を着た人でいっぱい。
  1. 2010/08/19(木) 21:35:01|
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さらばオールド・マナーリーのじじぃ

7/29(thr)
Manali day2


インドのニンビンと異名をとる、マナーリーでの二日目。
朝は快晴、後曇り。

実は昨日のレーからのバスの道中、
新婚旅行で世界一周をしている素敵なご夫婦、森野夫妻と仲良くなる。
マナーリーに着いたのが夜も遅かったこともあり、降車場の近くの宿に投宿。
尚且つ、部屋もご一緒させてもらった。
安上がりに一人当たり150ルピー。


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お昼ごはんを食べた後に、オールド・マナリーへ。
30分ぐらい歩くと、なんだかいい感じの店が増えてきた。
うん、面白い!
ここマナーリーやゴアはインドの中のヒッピー・タウンとして有名。
そのマナーリーの中でもオールド・マナーリーがその中心となる。
はっきり言って、ニュー・マナーリーだけしか知らなかったら、
半日か長くても1泊もしたら十分だ。
というわけでオールド・マナリー、久々の思いがけないヒットの予感。


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そして、オシムラさんに勧められたDISHAというゲストハウスに向かうも、
なかなか見つからず。
色々な人に聞いて聞いて聞いて、ようやく見つけた。
畦道のど真ん中、地元民の家に紛れ込んだ所に建っている。
普通わかんねぇよ。
けど部屋と景色を見て感激。
素晴しい!
この綺麗さと景色の良さ、これでシングル200ルピーというのは破格。
いやー、いいゲストハウスを教えてもらった。

その後、ヒンズー寺院等を回りオールド・マナリーを散策。
森野夫妻もかなり気に入っている様子。
ご主人の方は、映像関係の仕事をなさっていたそうで、
高そうなソニーのビデオカメラで一心不乱に撮影している。
彼ら、レーに上がる前に3日程いたのに、
この辺には来ていなかったという事を痛恨としている模様。
確かに、この辺はかなりいい感じの民家が軒を並べている。
オールド・マナーリーに来て良かった。

6時過ぎ、ダラムシャーラー(Dharamsala)に発つ森野夫妻をバス停まで見送る。
ダラム・シャーラーで会いましょうと約束するも、マナーリーで沈没する予感が…




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オールドマナリーのヒンズー寺院から。



7/30(fri)
Manali day3


10時起床。
朝しか温水シャワーが出ないので使ってみたが、
あまり豪快には浴びれない。
インドではこれ以上の贅沢をする無かれ。
オープンテラスのカフェで、イタリアンブレックファーストを食べて、
今日のアクティビティ開始。

この辺一帯は、ヒマラヤ杉の原産地。
なのでちょっと公園を散策。
猿が多いが気持ちいい森。
何年物のヒマラヤ杉だろう?


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ニュー・マナリーを惜しげもなく通過し、
ヴァシシュト(Vashisht)村の方へ。
テクテクと1時間ぐらい歩いて到着。
暑い、また日に焼けた。
まずは、ここの寺院に沐浴場があるので行ってみただのが、
全く持って入る気がせず。
その後、しつこい客引きを振り切り路地裏を散策。
なかなか味がある建物が多くて気に入る。


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5時過ぎにオールド・マナリーに戻る。
晩御飯は3日連続でタリー。
そして二晩連続で同じ店。
今晩は卵タリー、50ルピー。
安いしお店の雰囲気がいいので、気に入った。
日本で食べるようなお米を出してくれるところが高ポイント。




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Main Road, Vashisht, HIMACHAL PRADESH



7/31(sat)
Manali day4


9時前起床。
朝飯を食べて、オールド・マナリーの上の方を散策。
昼飯を食べて、またダラーっと過ごす。

ぶらぶらしているだけなのに、この町を出たくない。
典型的な沈没パターンだ。
これはマズイと思い、
ツーリストオフィスに急いで行き、
ダラムシャーラーへのチケットを無理やりゲット。
明日の夜、マナーリーを発つことに。
もし、この後の予定が無かったら、確実にここで沈没している。


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夜、レーの観光を終えたオシムラさんが到着。
同じミニバスの会社で来たが、自分よりかなり早かったみたい。
一緒に乗ってきたコリアンと隣の宿の日本人とでモモの店へ。
女3人と男1人。
ガールズ・トークにはさすがについていけず。




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ここのインド・カレー屋で3日連続食事。エッグ・タリーがお勧め


8/1(sun)
Manali - Dharamshala


自分の中で、マナーリーが伝説となった日。

オシムラさんに誘われて、
まずはオールド・マナーリーの奥のカフェで朝食。
すごくいい景色。
それに地元の人もいい感じだし、
カフェのオーナーもなかなかのたたずまい。

また洋服店店員のインド人、鈴木サムライ。
それから鈴木サムライの父親でビルのオーナーのおじじ。
彼らのお店にお邪魔させてもらってチャイをご馳走になる。
ここの人達、商売っ気がないところが素晴しい。
全く通りの人達に売り込みなんかしなくて自分達とずっと駄弁ってるんだけど、
売る気あるのか?


20100801-1.jpg


またイングリッシュ・ベーカリーの前にいつもいるババ、
飲んだぐれの親父で方々から怒られているそうだが、
これがまた、なかなか素敵な可愛い挨拶をしてくる。
片手を挙げて白い歯をニッとするんだな。
この笑顔の愛嬌があるババはきっとインド人にもOKなんだろう。

魅力的なじいさん達がいっぱいいるマナーリー、
インドとは思えないほどのピースフルな場所。
今までステレオタイプの意見を聞いていて結構身構えるところもあったが、
ここマナーリーでインド人の見方が変わった。
人生の中で訪れた場所の中でベスト3に入るぐらい素敵なところだった、マナーリー。

夜、ダラムシャーラーへのバスに乗り込む。
オシムラさんとはここでお別れ。



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river view cafeの風景。羊がおばあちゃんに添い寝しているのがポイント


8/2(mon)
Manali - Dharamsala


朝4時半にダラムシャーラー(Dharamsala)に到着。
と言っても、本当はチベット亡命政府の本拠地がある、
ダラムシャーラーから少し登ったマクロード・ガンジ(McLeod Ganj)の方だけど。
こんなに早く着いてもやることがない。
適当なホテルの連れ込みを見つけて、かび臭い宿で早々撃沈。

ちょっとの仮眠の後、
ネットをして寺院の方に向かおうとしたら、
森野さん夫妻と偶然出会う。
夫の博之さんの案内で寺院を見学。

建物内の壁画はなかなかの物があるも、全体的にしょぼくれた感があるか。
やはり亡命政府の悲哀か。
色々と街を歩き回ったが、思っていた以上にダラムシャーラーは面白くなかった。


20100802-1.jpg



ただしどことなく張り詰めた感が無く、ノンビリとしている。
チベット亡命政府の立場なので、
平和ということではないが小康状態という感じ。
最近のモンクはオープンカフェで女の子とお茶ときたもんだ。

夕方、博之さん、タクシー運転手らしき男とバトル。
南下につれ、だんだんとインド色が強くなってきたみたい。



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供犠問答をしている僧侶達。Tシャツ、ジーパン姿の人はどういう立場の人?
  1. 2010/08/08(日) 19:20:56|
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肺はいかにして鍛えられたか

7/24(sat)
Leh day4



午前中に延泊の予定を宿の人に伝えると、
「ジュレー、ジュレー、サンキュー・ベリーマッチ、サンキュー・ベリーマッチ!」
と、ものすごく感謝される。
ここの宿の人達、みんな本当に好き。
宿の名前は、「Bimla Hotel」。

午後、暇だったのでレー王宮に行ってみることに。
何も無いとは知っていたけど、おのぼりさんをやりたくなって。


20100724-1.jpg



地元の人間は5ルピーだが観光客は100ルピーという暴利を貪っていることに、
ちょっとイラッとしながらも入館。
期待に違わず、見るべきものはほとんど無い。
ただ館内は涼しくて気持ちよく、また、
王様になると下々の者をこんな景観で見ているのかということを、なんだかちょっと理解した。
その後、快晴のタルチョを写真に撮りたくて、またもツェモ・コンパに登ってしまう。
どうやらサル並の自分。


20100724-2.jpg



夕方から宿のテラスで、
全共闘世代のダンディズムが薫る男、小川氏と、
世界を股にかけるスーパー女史、オシムラさんとで、
ワールドワイドな世間話で盛り上がる。
内容はというと、
世界の韓国人とイスラエル人、
実録、狂犬病の犬に噛まれたら?
お喋りなドイツ人とはこんなふうにケンカしろ!
その他有益情報多数。
また、オシムラさんにはモルディブでの仕事を斡旋され、
かなり魅力的な提案で本気で悩む。
モルディブは有りだ。

毎年この時期、法要をしにダライ・ラマがラダックへ来てるんだって。
ナイス・タイミング。
会えるかな~?



20100724-3.jpg
ツェモ・コンパへと伸びるタルチョ。青い空に映えて目を奪われる。



7/25(sun)
Leh day5



数日前、小川さんにラダック近辺のゴンパを一緒に回りませんかと誘われ、
有難くその申し出を受けることに。
今日は、その初日。

朝の8時待ち合わせだったのだが、
7時50分にタクシーが来た。
やはりこの辺もラダックはインド・スタンダードとは違う。

伊武雅刀のようなラダック人の運転手に連れられ、いざ出発。
タクシーと言ってもシボレーの四駆。
相当な悪路でもこれなら平気だろう。
逆に言うと相当な悪路を行くという事か?
これで一路、下ラダックのアルチ・ゴンパ(Alchi Gompa)を目指す。
レーの市外を抜けるとすぐに荒涼とした大地が広がる。
両脇の山の頂が高いし、岩もごろごろ。
火星に来たら、こんな感じなんだろうなという所をひた走る。


20100725-1.jpg



結構未舗装区間を走るのかなと思っていたが、半分ぐらいは舗装をしていた。
これは軍用道路も兼ねているからだろう。
レーはカシミール付近での対国境、対分離独立派テロリストの重要な軍事拠点で、
市中では、警察、国境警察、インド軍がウジャウジャいる。
まあいたる所にいても、皆ノンビリしているので平和な雰囲気なのだが。

アルチ村に近づくほど道も厳しくなる。
暑さと揺れにやられながら、約2時間でアルチ・ゴンパに到着。
アルチ・ゴンパはラダックでは珍しく平地にある僧院。
こじんまりしているも、飾ってある仏教芸術はこの辺では1、2位を争う。
仏陀、弥勒菩薩をはじめ、素晴しい仏像と壁画が並ぶ。
なかなかの物を見せて頂いたという感じだが、残念だけどここは写真は厳禁。
興味がある方は、ぜひアルチまで。

12時過ぎ、アルチを出発。
今度は上ラダックのある、シェー・ゴンパ(Shey Gompa)方面へ。
途中、ありえない量のベジカレーを食してから上ラダックに向かうも、
インダス川とザンスカール川がぶつかる、Three Pointという地点を通りかかる。
そう、ここの地点こそ自分にとっての最重要ポイントだったのだ。
そもそも、ラダックに行きたいと思うようになったきっかけは、
白川由紀の写真集の中での、ここの場面の写真を見たから。
地球上でこんなところがあるのかと思うぐらいの素晴しい景色なのだが、
まさかここで遭遇するとは思わなかった。
完全に気が動転して写真を撮りまくり。
ありえない、すごい、すざまじい。
本当にラダックすごい!!

あまりの凄さに気が呆けた状態で、シェー・ゴンパに到着。
そんなに大きくないゴンパだが、壁画が素晴しいものがある。
また地元の人もすぐそばで五体投地。
なんだか、いいね。
またこのシェー・ゴンパの更に上に、廃れた王宮があり登ってみた。
高山病の影響かすぐに息が切れ、
足がガクッとなり数百メートル下の谷に落ちそうになる。
怖い怖い。

午後4時終了。
ほとんど移動だけだが、クタクタ。
宿に戻り、軽くシャワーを浴びてネット屋へ。
ここでツィッターチェックをしていると、男女の兄弟の子供が寄ってくる。
ちょっとPC内にあった日本の写真を見たら、
かなり興味津々で食いついてきた。
鎌倉の大仏とか横浜のみなとみらいの景色を見せてあげたりして、
喜ばせてあげる。
いつか君たちも日本に来れたらいいね。

さて、足立さんからのリクエスト。
ラダックの夕日を掲載。
レー王宮から見る夕焼けだが、太陽が稜線の向うに入ってしまい、
雲隠れの夕日を収められなかったことはご容赦して頂きたい。


20100725-2.jpg



その後、町をブラブラしていたら町一番の美人、
「ララ・カフェ」の店員とバッタリ遭遇。
向うも覚えていてくれて、今回はけっこう話しが弾んだ。
「あなた。幽霊には気をつけて。この前ね、私は見たの」
と言われたが、どうやって気をつければいいのだろう?
対処法を聞く前に別れてしまったので、とても不安。


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アルチ・ゴンパのマニ車。ここのマニ車が今まで見た中では一番だった



7/26(mon)
Leh day6



全共闘ダンディスト、小川氏と魅惑のゴンパ巡りの2日目。
今日は、下ラダックのラマユル・ゴンパ(Lamayuru Gompa)へ。

本日も昨日に引き続き、ラダックの伊武雅刀が運転するタクシーに乗車。
レーの外れのガソリンスタンドで、給油中にトイレへ行きたくなり、
伊武雅刀にトイレに行きたいと告げると、
「ここは駄目だ、俺が後で別のトイレに連れて行ってやる」
と不思議なことを言われる。
訝りながらも彼に従ったら、スタンドから出て5分後ぐらいに、
「ここでしろ」
と、インダス川のほとりに連れられた。
よく意味が理解できない…
どうしてガソリンスタンドのトイレを使わせてくれなかったのが謎だ。
しょうがないから、インダス川で立ちション。
ガンジス川でバタフライ、となかなかいい勝負なのではないだろうか。

そして、昨日書いたことを撤回する。
アルチ・ゴンパの道なんて朝飯前ぐらいだった。

下ラダックの中でもラマユル・ゴンパは少し離れていて、
途中まではアルチ・ゴンパまでと同じ道。
そこからの道程の厳しさは凄かった。
舗装されていない道を爆走しーのの、
途中で道が工事中でしばらく待たされたり、
また何故こんな道で敢えて追い越しをかけるのか。
そんな道中がひたすら続く。
えらいしんどい。


20100726-1.jpg



そしてパスポート・チェックを抜けると、
すごい山道を登ってゆく。
崖下1000mぐらいあるんじゃないか、それも1車線で舗装状況も最悪。
こんなところをトラックとすれ違うと生きた心地がしない。

ただし景色は壮絶だった。
やはりヒマラヤ。
世界で一番高いだけのことがある。
今までの人生の中でも最高ランクのすごい景色だった。

8時に出発して13時過ぎにラマユル・ゴンパに到着。
かなりヘロヘロ。
このゴンパ、思ってたよりはこじんまりしてたかな。
僧院の中には入れなかったが、子供の僧がけっこういたので、
彼らの写真を何枚か撮った。
でも幾人かは、ふて腐れた態度で写真に写る奴もいて、おそらく、
「めんどくせーなー、こいつら、いつも」
みたいにどうせ思っているのだろう。
可愛げがないガキだ。


20100726-2.jpg



そして14時にラマユルを出発。
レーに戻る。
帰りは行きよりももっと悲惨だった。
なにか不機嫌なことでもあったのか知らないが、帰りの道を伊武雅刀が飛ばす飛ばす。
何回がヒヤッとする場面があった。
そして2回ほど、本気で対向車とぶつかると思った。
日本だったらドライバーに対し激高している。
インドだったらしょうがないかと思い流してしまったけど、
最近、こういう態度はいけないんじゃないかと、ちょっと悩んでいる。
まあ食後のデザートにティラミスを食べようか、
それとも抹茶シフォンにしようか、ぐらいだけど。
豪に入らずんば豪に従え、なんちゃらかんちゃらみたいな事を言うけれど、
時と場合によっては海外でも、日本スタンダードで押すべきなんじゃないかなー、
と思ったりするんですね、今の自分は。
帰りの道程の4時間、ずっとそんな運転だったおかげで、
全共闘ダンディストの小川氏、かなりの疲労困憊。
宿に着いたら灰と化していた。

近くにある洒落た名前のレストラン、"Happy World"で食事をしていたら、
スーパー女史のオシムラさんがやってきたので同席した。
この人の話は聞けば聞くほど面白い。
あぁ、世の中にはすごい素敵で、くだらない常識には縛られない人がいるんだなー、
と思っていたら、
そこに偶然にも、オシムラさんの昔の同僚で友達のマリさんがやってくる。
レーに二人しているのは本当の奇遇で、奇跡に近いとの事。
たまにある、旅の不思議という奴だ。
この人達の話を聞いていたら、たまげた。
普通に生活していては想像できない、ありえないような人生を送ってる。
日本にいたら絶対に知り合うことができないような人達だ。
あまりにも楽しかったのて、結局閉店までずーっと話し込んでしまった。
ちょっとだけ彼女達の人となりを書いてみると、
オシムラさんは南アフリカに家を建て、
マリさんは、世田谷の学芸大学からホンジュラスまで転職してしまう方である。
東京なんかでサラリーマンやってる場合じぇねぇよ、って思わない?



20100726-3.jpg
ラマユル・ゴンパへ続く道。下からずーっと登ってきて、この先もずーっと上がってゆく。



7/27(tue)
Leh day7



何も予定を入れない1日。
朝食を食べてからネット屋へ。
ここで仲良くなった店員の兄ちゃんと雑談。
いい奴なんだ。


20100727-1.jpg



午後から、宿のテラスでオシムラさんとお喋り。
昼食も"Happy World"でオシムラさんとお喋り。
夕飯は、オシムラさん、小川さん、マリさん、
そしてマリさんと同宿の未来君と食事をしながらお喋り。
そして宿に帰ってからも、リビングルームでオシムラさんと小川さんとお喋り。
ずーっとくっちゃべってた一日だった。

そして深夜、レーを旅立つ。


20100727-2.jpg
やっぱフリー・チベットだよね。



7/28(wed)
Leh - Manali


0時前、宿をチェックアウトしてバスターミナルへ。
ミニバスへ乗り込みマナーリーへと向かう。
今回の最大のミッションは、ヒマラヤ山脈を越える超絶道路を縦断すること。

例年、6月から10月にかけて、
レーからマナーリー(Manali)間にかけてのヒマラヤを縦断する道路が開く。
今現在、陸路でレーへアクセスする最も現実的な方法だ。
ちなみにこの道、地球の歩き方のマップには載っていないので悪しからず。

外務省の海外渡航情報ではジャンムー・カシミール州には危険情報が出されていて、
空路での利用を勧めているが、これには少しだけ補足したい。
よく聞かれるカシミール地方は、今、政府軍vs分離独立派民兵による争いが発生していて、
その最も危険な地域はシュリナーガル。
この、シュリナーガルへと向かう道は、よく山賊武装ゲリラも出没している為に危険であり、
実際目の前で銃撃戦を目撃した旅行者もいる。

なのでシュリナーガル経由でレーへのアクセスは止めたほうがいいが、
しかし、このレー・マナーリー道路に関しては、
ゲリラが生息する地帯を通らないので襲われる心配は無い。
そういう意味では安心なのだが、
ただし、下が見えないほどの崖底に落ちるには十分過ぎる細い道路なので、
転落して事故死する可能性は普通にある。

ちなみにシュリナーガルへは今日現在(2010/07/28)の情報によると、
都市機能は麻痺、夜間外出禁止令が発動されているみたい。
レーで買い物をしていた軍人からの話を又聞きしたところによると、
死んでもいいなら行ってもいいよ、だって。
シュリナーガルは本当に風光明媚なところなのだが、
大学の冒険部でも属している人以外、今はお勧めできない。

というわけでレー・マナーリー道路、この道路が面白そうだったので、
レーから出る時は使ってみようと思っていたのだが、
のっけから、騒動勃発。
隣の席にポーランド人カップルが乗り込んできたと思ったら、
えらい剣幕で怒っている。
どうやら席の情報が間違っていて、危うく乗れないところであったみたいだ。
係りの人に食って掛かっている。
まあ気持ちは分かるが、ここはインドということで、
少し大目に見てあげよう。

0時半出発。
そして、ミニバスはいきなり100km/hぐらいまで加速。
町中なのにちょっとありえない…
かなり不安のスタート。

1時間ぐらいは、道路状況もよくどんどん進む。
その後、山をクネクネと登りだしたと思ったら、
急激に揺れて冷えてきた。
とうとうヒマラヤの峠越え第1弾。
この道路は2回、標高5000m越えをするらしい。
辺りを見回すと月の光で氷河が光っている。
その氷河、目と鼻の先にあるんですけどね。
なんだかこの辺は氷河を削り取ったところに道を作っている。
景色はすごいんだけど寒い。
寝袋を含めてフル装備の防寒対策をしてきて良かった。
短パンとTシャツだけだったら車内でも凍死してるんじゃないかぐらい凍える。

この寒さと揺れのおかげで、ほとんど眠れずじまいで朝を迎える。
朝の5時に初めての休憩でちょっとしたブレーク。
寒いけど、この朝のひんやりした感じが気持ちいい。


20100728-1.jpg



そしてしばらく走った後、再びのヒマラヤ山脈峠越え。
この道路、標高の最高地点は5600mぐらい。
ここが世界で2番目に高い道路なのだそうだ。
(世界で1番はどこなんだろう?)
ラダックではかなり動き回り、肺を酷使、鍛錬をしてきたが、
ここにきて、人生史上最大に肺が鍛えられることになる。
さすがにかなり息が吸いにくい。
辛い。
これにプラスして、寒いのが輪をかけて体に応える。
なんせね、7月のインドなのに雪世界なんですよ、外は。


20100728-2.jpg



こんな所を、運転手の兄ちゃんは窓を開けて走るからたまったものではない。
たぶん窓の曇りを防ぐデフロスターが効かない為だと思うが、
乗客はかなり厳しい。
となりのポーランド人なんて震えてる。

この天国に2番目に近い道路の峠越えをした後、
しばらく下り。
緑も見えてきたな、と思っていたらトラップが発生していた。
この辺の道、よく川の水が道路に(ありえないぐらい)冠水していて、
そこを車が渡るということがよくあるのだが(信じられない)、
今回、目の前のトラックがその冠水の所でスタック。
ニッチもサッチもいかなくなっていた。
これはあまり見れる光景ではないと、最初はちょっと興奮していたのだが、
ここで引き返せと言われたらどうしようかと思いはじめたところ、
救世主のショベルカーが到着。
1時間ぐらいでなんとかなった。


20100728-3.jpg



その後も、対向車と運転手がケンカをし始める、
タンクローリーが横転していた、
断崖絶壁なのに雨上がりの泥だらけ未舗装路を突っ走っる、
日本では考えらないような原因でえらい渋滞に巻き込まれる、
等、イベントがこれでもかというほどのてんこ盛りで起こった。
ここ最近、毎日のように凄い道路の記録を更新していったが、
今回の天国へ2番目に近い道路が一番凄かったと思う。
21:30、マナーリーに到着。
21時間ものバス旅は初めてで、かなりヘトヘトとなったが、
更に驚くことに、この運転手は一睡もしていない。
サイボーグだろうか?
21時間ずーっと運転しっぱなしでいたのだが、
インドの労働基準法には引っかからないのだろうかと疑問だ。

このレーとマナーリー間のドライブルート、
信じられないような絶景の連続でかなりお勧めですが、
崖崩れやら大雨で道路封鎖、車の故障等のトラブルが多発する地帯なので、
時間と勇気に余裕がある時にチャレンジしてみて下さい。
たぶん一日で着いた自分はラッキーな方だと思う。


20100728-4.jpg
途中で寄った休憩所で。ここの店員のお姉ちゃん、ヤンキーっぷりは万国共通
  1. 2010/07/31(土) 00:22:45|
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ベリー、ベリー、チベット


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  1. 2010/07/25(日) 01:16:45|
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Author:moonwatcher
気がついてみたらドロップアウト。
1年4ヶ月間、オーストラリア・ニュージーランド放浪をし、日本へ帰国。
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